DIARY

”フランスが芸術国である理由”とは、、

Posted on 27.Dec.2018 by SWITCH in diary

皆さん、こんにちは!!
洋服と歴史と芸術とSwitchをこよなく愛すSwitchの宗光です。

今日は洋服以外のブログを書かせて頂きます。
テーマは、「何故、フランス(パリ)が芸術大国となったのか?」です。
色々な説や、ご意見があると思いますが、僕なりの見解をお話させて頂きます。

さて、フランス最大の転機といえば、1789年に起こった”フランス革命”。
世界史上でも、代表的な市民革命であり、歴史を学ぶ人が挙って、
最も重要な出来事として、捉えています。
バスティーユ牢獄の襲撃から始まったこの革命は、6か月にも及ぶ革命で、
市民側が勝利し、ここに市民主権(人民主権)が生まれる形となりました。

IMG_9551

では何故という話に入ります。
中世のヨーロッパの構図としては、神聖ローマ帝国を含むイタリア、貿易で栄えたオランダ、
無敵艦隊を擁したスペイン、産業革命を迎えたイングランドという流れで、
ヨーロッパを牽引する国家が移り変わってきました。
この間、フランスが大国として君臨することはありませんでした。
あえて言うならば、華やかさがあったルイ14世の時代でしょう。
18~19世紀の時代に栄えたのは、当時最大の文明先進国であったイングランドでした。
首都、ロンドンは当時ヨーロッパ最大の都市であり、経済や産業が最も早く成熟した都市でした。
しかし、その一方、芸術の分野では特筆すべき人物はいません。
財をなしていたところに、芸術・文化が花開くといった中世の時代の構図から
考えると、ロンドンが芸術の都となっていてもおかしくないはずです。
そこに、今日のテーマの僕の答えがあります。
それは、フランスが、カトリックであるからです。
イギリスは、プロテスタントが最大の宗派で、中でもイギリス国教会という
ローマ教皇庁から離れた独立派です。
そして、なぜ、カトリックであれば、芸術が栄えるのでしょうか??
答えは明確で、当時カトリックは、膨大なお金と権威を持っていたからです。

0_Basilique_Saint-Pierre_-_Rome_(1)

【カトリックの総本山  ・サンピエトロ大聖堂】

ヨーロッパで、宗教と文化は切っても切り離せない関係でした。
覇権争い、金銭争いの多くは、宗教問題からでした。
その証拠に、ヨーロッパ中で、宗教戦争も勃発していました。
カトリック総本山であるローマ(現・ヴァチカン市国)を始め、ヴェニス、フィレンツェと発展を遂げてきた、
イタリアは多くの芸術家を生み出してきました。
フランスは、イタリア芸術を模範として、イタリアに芸術家を派遣したりして、
美の基準を芸術大国であったイタリアから学んで行ったのです。
そして、1648年には、パリに「王立絵画彫刻アカデミー」が創設され、
芸術家と職人を明確に区別するようになりました。

IMG_9553
【パリ王立絵画彫刻アカデミーが開くサロン】

その結果、18世紀から19世紀にかけて、印象派、ポスト印象派、エコールド・パリへと
続く、芸術の派閥を生み出し、芸術都市パリを中心に、フランスは
真の芸術大国へと発展して行きました。

ルノワール

【印象派 ・ルノワール】

セザンヌ

【ポスト印象派 ・セザンヌ】

モディリアーニ

【エコールド・パリ  ・モディリアーニ】

 

歴史的な事なので、真の事実は誰にも分りません。
しかし、ヨーロッパ諸国において、カトリックが芸術と強く結びついていた事は、
紛れもない事実であります。
日本は、世界的に珍しい多神教の国ですが、ヨーロッパ諸国では古くから伝統的に
自分たちの宗派を重んじてきました。
その中で生まれた様々な宗派が、争いを繰り返し、現在に至るのです。
今日も、こうした宗教の違いから、世界各地で、様々な問題が発生しています。
問題解決が進んでくれる事を願っております。

現在では、世界一の芸術の都となったフランス特にパリ。
皆さん、ご存知の通り、美術館や美しい街並みを始め、衣食住を中心とした
素晴らしい文化が今日も根強く残っています。
芸術を中心とした文化ある世界都市として、
そして我々の携わるファッションの都として、その揺るぎない信念を変えることなく、
これからも君臨し続ける事でしょう。

CIMG0563
今年も残りわずかですが、
皆様良い年の瀬に致しましょう。

皆様のご来店を心よりお待ちしております。